研究課題/領域番号 |
26580126
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
朝治 啓三 関西大学, 文学部, 教授 (70151024)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | ドイツ医学 / 帝国大学 / 台湾医学 / ローベルト・コッホ / 後藤新平 / 杜聰明 / 伝染病研究所 / 熱帯医学研究所 |
研究実績の概要 |
ローベルト・コッホによる結核菌の発見に始まる細菌学の進展、レントゲンによるX線の発見と実用化、これらに代表される19世紀末から20世初めにかけてのドイツ医学の先進性が、世界中から医学生をドイツの大学医学部へと向かわせ、明治、大正期の日本も例外ではなかった。その実証のために、臨床技術よりも、医学研究目的で渡独し、医学学位を取得した日本人医学生を特定し、彼らの経歴を網羅的に調査した。先行研究を渉猟し、そこから漏れた人名をも発見して、1880年から1917年までにミュンヘン大学で医学学位取得した135名を特定し得た。ベルリン大学は7名である。彼らの学位論文のテーマ、指導教官、帰国後の研究機関、帰国後の研究業績、後継者へのドイツ医学の伝授と研究者養成実績をデータ化して、エクセルデータとしてコンピュータ入力した。先行研究ではいわゆる学閥間対立(東京帝国大学閥と北里派)、官学対民間という図式で語られてきたが、実際はもっと複雑で、特に1895年の台湾植民地化と1910年の韓国併合以後、それらの地への医学の伝播と深く関係していることが実証できそうである。 それと並行して、日本を経由して台湾の医学が西欧化される過程を実証的に研究した。19世紀半ばまで漢方医師が中医と呼ばれる伝統療法しか行わなかった台湾へ西洋医学がもたらされ、次第に地元民にも受け入れられてはいた。しかし西洋医学研究が台湾にもたらされたのは、日本の台湾統治以後のことである。日本の大学から台湾に派遣された医学者が台湾人医学生に西洋医学を伝え、研究方法を実施することによって、西洋医学研究が台湾に定着するというルートと、台湾人が日本の大学へ留学して西洋医学研究方法を身につけ、帰台後、研究機関に所属して台湾人医学生を養成するルートとの跡付けを行い、データ化した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
住友文庫ドイツ医学学位論文に含まれる日本人の学生によるドイツ医学学位取得状況の歴史的意義を探ることから出発した本研究は、現地ドイツの大学での調査により、はるかに深い量と意義があることが判明した。 ドイツの大学医学部所蔵の文書類の調査は、ベルリン大学とミュンヘン大学へ直接赴いて、図書館司書の協力を得て、資料を入手し得た。ドイツで入手し得た情報のデータ化とコンピュータ入力は、日本でアルバイトに依頼した。日本人医学生の学位論文そのものは、大阪府立中央図書館所蔵の住友文庫にある程度は含まれているが、それ以外はベルリンの州立図書館書庫、ミュンヘン大学医学部図書館で閲覧できた。 台湾人医学生による日本の大学への留学と医学学位の取得は、先行研究によりある程度は把握されているが、不足分を大学の学位論文目録で検索しリスト化した。これを使用して学位論文現物を一番多く所蔵する国会図書館関西館に赴き、内容を確認した。学位を授与した大学には学位論文現物はほとんど収蔵されていないことも判明した。さらに台湾の大学に提出された、台湾人医学生の学位論文を、台湾国立図書館、国家図書館、台湾文献館、中央研究院に赴いて調査し、タイトル、指導教官、取得後の研究機関所属状況などをデータ化し、入力し得た。データの整理にはアルバイトを使った。 独、日、台における調査に基づいて得られたデータを利用して、現在独日医学関係についての論文を執筆し、『関西大学文学論集』に投稿する予定で、既に投稿申し込みを行った平成28年度中に刊行できる。その次に日台医学関係の論文を執筆する予定である。 本研究が目指すのは、1945年以前の日本人医学生がドイツでの学位取得を目指し、台湾人医学生が日本の帝国大学医学部を目指したことが、結果的には世界の医学研究の質が水準の高い地域から、それ以外の地域へと、段階的に移植されていく過程を実証することである。
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今後の研究の推進方策 |
独日関係、日台関係の医学研究の伝播に関する実証をし論文公表し終えたのち、次にはこのような学問の地球的規模での伝播が意味することを歴史的に考察する。結論を予想すると、従来の用語を使えば、学問の帝国主義的移植ということになろう。先行研究では、帝国主義は、19世紀末の帝国主義が植民地主義と同義語として捉えられて、強国が後進国を侵略・搾取する主義として説明されてきた。しかし学問に関する限り、そのような押し付けはなく、むしろ後進国の側から先進性を求めて、ドイツへそして日本へと現地人が向かったといえる。その結果は、侵略に協力する面も無いではないが、後進性からの脱却に寄与する面もあった。学問のグローバリズムは確かに存在した。これを実証し得るであろう。 ミアズマ説と細菌学説との学問的葛藤、細菌学万能への反省、解剖学、病理学の体系化とその進展、さらに生体学や薬理学との体系化など、医学研究の専門家との連携をすれば、より体系的な医学史研究に寄与し得るであろう。これを達成するには文科系学部出身者と医学系学部出身者との協力が不可欠であり、大きな予算と多くの時間を要するであろう。
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