本研究は、①琥珀平玉の制作復元実験、②琥珀平玉等の化学分析、③続縄文文化の形成と初期の弥生文化及び琥珀玉作文化との関係、という問題を究明することであった。 ①について、正円を呈する琥珀平玉に対し松脂樹脂と採集琥珀原石を使い、固定回転装置を作り制作復元実験を行い、瓜一つの平玉を制作することに成功し制作技法は解明できた。しかし、平玉と松脂で作った偽平玉をアセトンに浸して実験したところ偽平玉が溶解し、松脂説が成立しないと判断された。 ②について、約150点の出土琥珀平玉、北海道産、サハリン産、久慈産の琥珀原石および各地で採集した松脂をFT-IR法で化学分析を行い、スペクトル・チャートを比較した結果、どれも含有成分のチャートが類似し琥珀産地を確定できず、特に松脂とは判別できなかった。劣化している琥珀平玉の劣化要因については何らかの人工力が加わっていると推定されたが、解明できなかった。 ③の縄文晩期の平玉、棗玉と続縄文文化の琥珀エンタシス形管玉等と九州に由来する渡来系とされるエンタシス形管玉の形態、制作技法等を型式学的、編年学的に比較研究し続縄文文化の形成に九州系の弥生文化的な玉作文化が影響しているかどうかという問題については、二つの問題があることを明らかにできた。第一点は、続縄文文化の琥珀エンタシス形管玉等は、九州において弥生文化伝来以前に渡来した玉作文化が間接的に北日本に影響して生成している可能性が高いこと、第二点は九州に伝来した弥生文化の玉作文化もまた間接的に影響していること、が考察された。つまり、九州の大陸的な玉作文化の伝播に二段階があると推考され、どれもが遠隔な北日本に北上していることである。それが、続縄文文化の形成の一つの要因になっていると考えられる。このことは、従来の稲作弥生文化が伝来しなかったという続縄文文化の形成に対する定説を再検討する引き金になるものと考える。
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