本研究は障害者権利条約や障害者差別解消法で用いられる「合理的配慮」について検討を加え、平等の意味を法的に再構成することを目的とする研究であった。 障害者運動の中で「合理的配慮」は、その不提供を差別であると認識させる概念である。つまり「合理的配慮」の作為義務を法的に課し、その不作為を違法な差別行為であると理論構成する。そのため差別のある社会は、作為義務の履行か経済的自由の追求か、といった二者択一を迫られる。 本研究はこれを自由と平等の綱引きであるとみて、後者の観点から、「合理的配慮」が「等しさ」の人権論に基づくこと、それは自由を原理とする法理論とは異なる理論的基礎を持ち、その平等の原理が差別のない平等な社会への政治的責任の問題を提起することを明らかにした。具体的には重度の知的な機能障害のある者に対する性暴力の問題に即して、「合理的配慮」の人権論の観点から性犯罪類型の改正の必要性を提起した。 「等しさ」の人権論は、九鬼周造の偶然論と松永澄夫の行為論、また進化心理学や霊長類社会学の相互行為論から着想を得た考え方であり、行為者らが同時一緒に同じ行為をすることで等しく価値を享受することができるとする。 例えば人と人の性行為は相利行為であり、財を与え合う互恵行為ではない。性暴力は性的自由ではなく、性行為の相利性を侵害する。重度の知的な機能障害のある者の性的な行為能力(性的自由)を否定し、心神喪失者に対する性行為であるから違法であるとする法理論が、むしろ「社会的障壁」であり、取り除かれねばならない。
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