研究課題/領域番号 |
26590023
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
木戸 衛一 大阪大学, 国際公共政策研究科, 准教授 (70204930)
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研究分担者 |
柳原 伸洋 東海大学, 文学部, 講師 (00631847)
長 志珠絵 神戸大学, その他の研究科, 教授 (30271399)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 空襲記憶 / 平和運動 / メディア / ジェンダー |
研究実績の概要 |
2015年度においては、2016年4月24日に行われる「戦争社会学研究会」(埼玉大学)でのテーマセッション「「空襲の記憶」の境界」に本プロジェクトの研究代表者・分担者が揃って関与することも念頭に置き、「空襲記憶」や「継承」の多様性に関わる知見をそれぞれが深めることに努めた。 研究代表者・木戸は、ドレスデンに代表される旧東独への空襲の体験・記憶が、体験者の減少だけでなく、難民問題を媒介にして、平和・人権・民主主義への責任を果たす機能を著しく弱め、周年記念行事も空疎化しかねない状況を追究、その成果を関西唯物論研究会(9月26日、阪南大学)での報告「ドイツの〈戦後70年〉-〈解放〉認識の定着と揺らぎ」などに反映した(『唯物論と現代』第55号に掲載予定)。 分担者・柳原は、ドイツ空襲に関連して、戦後メディアと空襲という観点で調査・分析を行い、その成果を論文「日本・ドイツの空襲と「ポピュラー・カルチャー」を考えるために」(『マス・ミュニケーション研究』88号)として発表した。また、日本国内においては、「空襲記憶の継承」に関する調査および報告を複数回にわたり実施、特に旭川での調査については、研究調査報告書「戦後社会の「平和の風景」を探る」(東海大学文学部紀要、103号、2015年12月、83-93頁)にまとめた。 また分担者・長は、戦後の空襲記録運動がどのような叙述とどのような言説を伴うことによって、どのようなイメージで戦後社会のなかで記憶されてきたのかについて分析を進め、成果を「「防空」のジェンダー」(『ジェンダー史学』11号)、「帝国の防空と空襲のあいだ」(『日本史研究』643号)などにまとめた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
日独両国における空襲記憶の学術的および社会的ネットワーク化に向けた基盤は、とりわけ後者については基本的に整えることができた。特に、ドイツ空襲の代表であるドレスデンの空襲体験者および空襲記憶運動関係者との連絡は頻繁に取り合っており、最新かつ有意義な情報を得られている。ただし、学術面の日独交流に関しては、ドイツでは、空襲研究自体が、一時に比べると若干下火になり、しかも関心が第一次世界大戦の時期にシフトしていることから、本プロジェクトからの呼びかけにどれだけ応じてもらえるか、いささか不安がある。 他方、日本国内における、およびアジア(韓国)との空襲記録運動の拠点ネットワーク化は、かなり進めることができた。しかしながら、そのような研究の制度化とは別に、空襲体験者の不可避的減少に伴う記憶継承の困難さは、どの国にも共通する重大な課題であり、本プロジェクトとしても、その克服に向けた明確な方向性は必ずしも見えていないと言わざるを得ない。 さらには、「9・11」を契機とする世界的な軍事化の傾向により、第二次世界大戦の記憶を研究することの意義そのものが相殺されかねない状況があり、「空襲の記憶継承学」の構築を目指す本プロジェクトとしても、改めて研究の意味を自覚化することが迫られている。
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今後の研究の推進方策 |
最終年度において、ドイツから空襲体験者、あるいは空襲記憶継承の活動家を招聘すべく働きかけたものの、残念ながら来日は実現しそうにない。したがって、現地調査を通じて、戦後70年を過ぎた「空襲の記憶」のありようを確認するとともに、電子メールによる交流をさらに密にし、バーチャルな形での「空襲記憶のネットワーク化」の構築を目指すこととする。 他方、上記「戦争社会学研究会」での報告・討論を踏まえ、本プロジェクトの代表者・分担者全員が、新たに刊行される予定の『戦争社会学研究』に寄稿するための研究を重ね、それぞれ本共同研究の総括を行うこととする。 なお、この間の研究活動で明らかになってきたことは、存命する空襲体験者が数少なくなる中で、本プロジェクトを始める以前に想定していた以上に、空襲の「記憶」がしばしばその事実・実態から遊離し、政治的あるいは社会的要請に応じて操作・道具化すらされている状況である。したがって、最終年度においては、オーストラリアなど、必ずしも日独両国にこだわることなく、しかも「空襲の記憶」を、平和・人権・民主主義に資するはずのものといったアプリオリな前提に基づいて議論するのではなく、「記憶」の中身そのものをより精査しつつ研究を進め、最終的な総括に結び付けることとしている。
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