19世紀初頭以降、西欧諸国では社会統計を国内の統治に応用する。帝政ロシアは近隣諸国を参考に、1858年に内務省に中央統計委員会を設置し、国内の様々な統計データをこの統計委員会に集約する。内務省は統計データに基づき、国内統治を円滑化すると同時に、公衆衛生の改善に努める。1917年のロシア革命を称賛する余り、帝政ロシアの行政を過少評価してきた。しかし、内務省の新聞の分析から明らかになったのは、帝政ロシアは社会政策により国民の厚生を高めたこと、国内の情報をくまなく収集する統計制度を整備したことである。帝政ロシアの統計制度が十分に整備されていたため、ソ連の計画経済が可能となったと考えられる。
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