本研究は、戦後の「人生雑誌」史を洗い出し、「大衆とインテリの狭間」の層のメディア受容を分析した。『葦』(1949-1960)、『人生手帖』(1952-1974)といった人生雑誌は、戦後多く創刊され、幾度かのブームも見られた。人生雑誌は勤労学生や集団就職者を主な読者とし、彼ら自身も寄稿した。彼らは知識人ではなかったが、上級学校進学の憧れがあり、知的なものへの憧憬を抱き、遊興のみに自己を埋没させることを拒んだ。本研究は、「大衆かインテリか」でなく、その狭間で煩悶する人々のメディア史に照準し、彼らの屈折がいかなる言説を生み出したのか、人生雑誌はいかなるメディア機能を有していたのかを考察した。
|