本研究は、ヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)運動がナチス当局によって如何に評価され、如何なる措置を受けたのか、また学校側が如何なる対応や行動を行ったのかについて、一次資料の蒐集と分析を通して解明することを目的としてりう。研究の最終年度となった平成28年度は、シュツットガルトにある自由ヴァルドルフ学校連盟とドレスデンのヴァルドルフ学校での資料調査本研究の総括を行うことを予定していた。 このうち、自由ヴァルドルフ学校連盟での資料調査は、同連盟との最終的な日程調整がつかず、実現できなかったが、ドレスデンのヴァルドルフ学校での資料調査は実施でき、ナチズム期の活動の実態に迫る資料を蒐集することができた。 平成28年度に新たに蒐集した資料及びこれまでに蒐集した資料の分析の結果、次のことを明らかにすることができた。まず、ナチス当局から次々とナチズム教育の実施を命令されたヴァルドルフ学校は、表面的にはその命令に従う姿勢を見せつつも、日々の教育活動においてはヴァルドルフ教育を忠実に実践していた。このことは、ナチス当局者が実施したヴァルドルフ学校への査察報告書から明白である。また、1941年まで存続していたドレスデン校の場合、確かに校長のエリザベート・クラインは副総統ヘス及び副総統官房への積極的な働きかけは行ってはいたが、それはナチズムへの協力や迎合のためでは決してなく、あくまでもヴァルドルフ教育を持続するための空間を覆う「屋根」を構築することが目的であり、この「屋根」の下でドレスデン校では強制閉鎖されるまで、徹頭徹尾、ヴァルドルフ教育が実践されていた。しかし、副総統のルドルフ・ヘス及び副総統官房の職員の一部が、親衛隊及び秘密国家警察を率いるヒムラーやハイドリヒ、帝国文部省等のナチス指導部の方針に反してまで、ヴァルドルフ学校を「庇護」したのか、その意図は未解明である。
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