春日大社と上下賀茂神社に関して建築形態と祭儀の面から比較検討を行い、本殿の意味を考察した。この二社は奈良時代から平安時代初期にかけて、国家的な大社として建築形態と祭儀を整えたという共通点がある。春日大社の春日祭では、平素は宝庫に格納されている矛や盾などの威儀具が、祭礼の時に運び出されて本殿の周辺に飾られる。この状態が神祭りであり、そこに神が存在すると観念されている。従って、祭り以外の時期の飾りがない状態では神は不在と観念されていると考えられる。上賀茂神社では、葵祭に際してミアレ神事が行われ、遠方から神が迎えられていることが明らかである。この場合も通常の状態では神は不在と考えられる。以上のことは、この時代に考え出されたものではなく、前代の祭祀のあり方を整えたものと考えられる。 上賀茂神社の社殿は同形同大の本殿と権殿が並立する。権殿は仮の建物で、平常は使用されない。この不思議な形は賀茂社が、山城国の守護神から平安京の守護神つまり天皇家と国家の守護神となったことと関係するだろう。本殿の造替に際して、一時だけ神を権殿に移すが、権殿の存在によって、本殿の神不在の状態を1日以内に納めることができる。ここに権殿の意義がある。これは伊勢神宮の式年遷宮の方法と極めてよく似ている。両者は、神と本殿が連続的に完全な状態で存在するように計画されている。 伊勢神宮においても、毎日の御饌祭と重要な祭りである三節祭のあり方を検討すると、神の不在と常在、造替と永続が矛盾なく統合さていることがわかる。このことが国家的に整備された神社信仰のあり方と考えられる。それによって形成された建築のあり方は日本独特のものであり、天皇家を中心とする日本文化の本質を示している。
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