近年,マウスを用いた匂い識別実験から,嗅覚系内における選択的注意メカニズムが発見された.研究協力者の滝口らが3種類の分子を組み合わせて計6種類の匂いを作成してマウスに識別させた結果,マウスは識別問題にとって重要な分子に対して選択的注意を向け,重要でない分子の情報は削減していることが明らかになった.これは匂い感覚の個人差の主要な原因であると考えられる.しかしながら,選択的注意の神経基盤や機序は明らかにされていない.本研究では生物学的知見と工学的技術を組み合わせ,選択的注意を再現可能な嗅覚系モデルの構築を目的とする. 本年度はこれまでに構築した嗅覚系モデルを用いて選択的注意メカニズムの解明を試みた.3種類の匂い分子が混合された匂いが誘起する糸球体層の活動パターンを呼吸関数に随伴して僧房細胞層に入力し,興奮性の僧房細胞と抑制性の顆粒細胞の間の局所的なシナプス接続強度をHebbian ruleにより学習を行った結果,呼吸回数とともに僧房細胞層に表出する時空間的活動パターンが収束した.このとき,3種類の匂い分子の内,特定の匂い分子が誘起する糸球体層の活動を僧房細胞層に入力すると既学習の活動パターンが再生された.これは,新奇の匂いが既学習の匂いと知覚的に類似するという現象を示しており,マウスを用いた行動実験から得られた匂い識別の正答率とも一致するため,選択的注意を再現している[Soh et al. 2016].さらに,提案モデルの匂い感覚予測応用のため,匂い刺激をヒトに提示し,抹消の自律神経状態を反映する血管剛性指標を計測した結果,血管剛性指標と不快という主観評価の間に相関がある可能性を見出した.今後は本研究成果の発展として,匂いの学習と経験を考慮した人間の知覚と生理指標変換の予測を行う予定である.
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