研究課題/領域番号 |
26750290
|
研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
西原 茂樹 立命館大学, 産業社会学部, 非常勤講師 (60722767)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | 甲子園野球 / 言説史 / 精神野球(野球道) / 武士道 / 聖地 / プロ野球 / 東京六大学野球 / 純真 |
研究実績の概要 |
本研究の目的である「近代日本における野球文化がいかなる社会的な作用のもとで構築されたものなのかについて考察する」の一部として、平成26年度は第二次大戦後の甲子園野球をめぐる諸言説を収集・検討し、それにより甲子園野球に対する意味づけがその草創期である戦前と比較して変化したか否かを見定めることを直接の課題とした。 今や押しも押されぬ国民的イベントとなった甲子園野球であるが、申請者は以前の研究で草創期のこの大会が必ずしも「国民的行事」とはみなされておらず、特に東京方面のメディアからはむしろ色物的扱いすら受けていたことを明らかにした。本研究ではそれをふまえ、「色物」にすぎなかった甲子園野球がいかにして現在のように「国民的行事」とみなされるようになったのか、その過程を跡付けていくことを目指した。そのことによって、甲子園野球の人気、ひいては「汗と涙」といった一連の物語がなぜ衰えることなく力強く存続し続けているのかを解明できると考えた。 現在までの資料収集の結果、まだ不十分な見通しではあるが、「聖地・甲子園での国民的行事」という表象が成立していく節目は、1970年代半ば頃にあると考えるに至った。たとえば、主催者の朝日新聞の大会報道紙面は、それ以前と比べて報道量が格段に増えており、また野球やスポーツを専門としないジャーナリストたちが、野球雑誌ではなく一般の月刊誌等で甲子園野球をテーマとして取り上げる機会も、この時期を境に明らかに増加傾向を示している。こうした事実は、この時期に至って大会が名実ともに「国民的行事」とみなされるようになったことを示唆するものであり、その変化の要因を逐一検討することを通じて、現在のような「国民的行事」甲子園野球を成立させ、かつ維持し続けているものが何であるのかを、その歴史的・社会的文脈から解明することが可能になると思われる。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
昨年(2014)度は非常勤講師としての職務(講義準備等)の量が例年より増加し、それとの兼ね合いで十分な研究時間を確保できなかった。年度後半になってようやく少しずつ資料収集にとりかかったものの、結果として年度内に論文等の形で成果をまとめることができず、次年度に持ち越されることになってしまった。
|
今後の研究の推進方策 |
前年度以上に研究時間の確保に努めることが第一の目標である。方策としては一も二にも資料探索であり、精力的に各施設に足を延ばすことを心掛けたい。課題としてはやはり非常勤講師としての職務との兼ね合いであるが、バランスをうまくとって少しでも多くの時間を研究に振り向けることができるように努めたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
昨年(2014)度は担当する講義準備との兼ね合いで十分な研究時間を確保できず、そのため実際の研究費使用は一度の東京出張のみにとどまり、予定よりもはるかに少ない額の支出となった。
|
次年度使用額の使用計画 |
今年(2015)度は昨年度の分を取り戻すべく研究作業を進行中であるが、書籍や物品の購入よりも、主に東京方面の出張を頻繁に行うことで予算を消化することになると考えている。東京の各施設への旅費・宿泊費、資料の複写費が今後多額になると思われるので、十分な吟味の上で支出を行っていきたい。
|