最終年度は、過去3年間に重点的に取り組んだ、戦後の甲子園野球をめぐる言説状況の解明について最終的にまとめることを企図するとともに、申請当初からの課題である「戦後における「武士道野球」「野球道」言説の展開過程」についての総合的な見通しを示すための作業に取り組んだ。 まず前者については、前年度の報告書においても指摘したように、1970年代半ば以降甲子園野球を「国民的行事」と表現する言説が増大したこと、その背景に野球そのものの衰退を指摘する「プロ野球斜陽論」の展開があり、「衰退しつつあるプロ野球」との対比で「ひたむきな高校野球」の相対的地位が上昇したという結論に達し、平成30年度中に刊行見通しの共著本(出版社および刊行時期未定)において論文として公表する予定である。 そして後者については、研究期間中にある程度の見通しを示せると考えて作業に臨んだものの必ずしも予定通りには進まず、最終的に論文等で公表するには更に時間を要するが、現時点での見通しについて記す。 戦前における「野球道」言説が野球ジャーナリスト飛田穂洲によってリードされたものであったことがはっきりしていたのに対し、そのような中心的人物が存在しない戦後においては、言説そのものが様々なところに拡散し、その全体像をなかなかつかめなかったことが作業を困難にした。そのうえ佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史』(勉誠出版)が指摘するように、戦後においては教養主義的な野球言説自体が衰退し、それゆえ「武士道野球」「野球道」言説が全体として退潮傾向となり、その点でも考察が難しかった。しかし、最終年度の資料収集において、巨人軍監督を務めた川上哲治の野球道論などが飛田の言論をある程度受け継いだものとみられることや、日本人大リーガーの活躍を「武士道」と表現する言説が重要であることに気付いた。これらの内容についても、できる限り早期にまとめたい。
|