本研究の目的は、十九世紀後半のフランス哲学、主にベルクソンにおける自由概念と自我概念を、その交錯ならびに哲学史的位置づけにも留意しつつ解明することである。準備作業として、まずは、デカルトとパスカルにおける自由概念を、恩寵・超越者・価値判断などとの関係に即して明らかにし、その成果を背景に、ベルクソンの自由論・自我論の研究を行なった。 第一に、ベルクソンの定義論を検討し、彼の定義概念が近世哲学(デカルト、パスカル、アルノーなど)における定義概念を色濃く引き継いでいることを示した。そのうえでベルクソンの「自由は定義できない」というテーゼを検討し、その背後に二つの前提があることを突き止めた。すなわち、(1)定義は認識的還元をしなくてはならず、よって(2)最単純な観念は定義できない、という前提である。 第二に、自由論と自我論の両方が関係する研究として、道徳的行為者をめぐるベルクソンの考え、なかでも、道徳的行為者の成立要件に知性は含まれないとする議論について、レヴィ=ブリュールの議論とも比較しつつ、その妥当性の吟味を行なった。 第三に、同じく自由論と自我論とが関係するものとして、ベルクソンにおける潜在性概念の検討を行なった。ドゥルーズ『ベルクソン哲学』以来、ベルクソン哲学の全体にとって潜在性概念は(最)重要な役割を担っているという解釈が大きな影響力をもってきたが、その解釈にはテキスト上の根拠がほとんどないこと、また、その解釈によって見落とされてしまう、自由論・自我論上の重要な問題が存在することを指摘した。 最後に取り組んだ研究が批判的なものだったこともあり、研究全体として一つの結論を出すかたちにはなっていない。だが「自由論と自我論、ならびにその交錯」という共通テーマについて、多様な角度から、相互に関係しあうさまざまな論点を明らかにすることができた。
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