2016年度は、アリストテレス『生成消滅論』をはじめとした自然哲学的著作に現れるアナクサゴラスとエウドクソスの報告に焦点をあてることで、アリストテレスが彼より前の自然哲学者の言説を導入する際の傾向性を明らかにすることに集中した。その結果、示唆されたことは次のことである。第一に、彼は自然哲学者の言説を可能な限り好意的に読解するような寛容さや、その言説と説明対象である自然現象との齟齬や、その言説内の内部矛盾に際して、その齟齬や矛盾の解消を測るような解釈学的姿勢が希薄である。第二に、アリストテレスは自然哲学の遂行において、考察対象の観察とそこからの帰納を基盤としながらも、先行する自然哲学的言説の批判をすることによって弁証法的に議論を構築しているが、その弁証法的考察を可能にした手法のひとつは、彼が自然哲学者の言説を導入する際に、そのように理解すべき論拠を残さずに、過剰に一般化・全称化した命題としてその言説を解することにある。そのような一般化・全称化した命題を通じて、自然現象との齟齬や言説の内部矛盾は生成される。第三に、先行する言説の用い方として、『ニコマコス倫理学』をはじめとした著作で散見されるような方法、すなわち自身の学説の説得力を向上させるために、先行する見解を自身の学説から一定程度説明するような手段をアリストテレスは自然哲学的考察では採用していない。それゆえ、いわゆる「パイノメナ」を議論の出発点とするアリストテレスの考察方法は倫理学的著作でも自然哲学的著作でも採用されていることはしばしば指摘されてきたが、その内実にはずれが見られる。
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