本研究は、中国の古代から中古に至るまでの期間において、人間の身体および生命に関し、いかなる観念が提出されてきたのか、それら諸思想が時代の変化とともに受容と批判を経ていかに変遷したのかということについて分析を行った。その際、注目したのは「生」「性」「気」「神」「形」「精」「有」「無」といったキーワードである。本研究を進めるなかで、当初の計画ではそれほど重視していなかった唐玄宗『道徳真経』御注・御疏の分析についても行うこととなった。本研究で明らかにしようとする人間の身体観、生命観に関わる重要な要素である「養生思想」に関わりが深い資料として『老子』及びその注釈書である河上公注があるが、その河上公注の思想的位置づけを検討する中でこの資料についても扱うこととした。河上公注の思想的な特徴として、『老子』を解釈する上で「治身」と「治国」を重視するという点があるが、唐玄宗御注・御疏もまた「理身」「理国」を『老子』解釈の基本的姿勢として表明していた。その上で人間の本性とその現れについて議論を行い、本性を十全に発揮するための実践について述べるに際し、御注・御疏以前に提出された『老子』解釈、経書、諸子の書物に由来する知識、道教者や仏教者によって用いられていた語彙や概念を吸収・受容し、さらにそれを再構築していたことが明らかになった。玄宗御注・御疏は広く天下に公布されており、唐王朝が老子を国の祖と位置づけていることからすれば、玄宗御注・御疏は単に『老子』の一注釈ではなく、国家による修身・治国に関する公的見解の表明ととらえることもできる。古代から変遷・発展を続けてきた人間の身体・精神・生命、そしてそれらの構造と時にパラレルの関係で述べられてきた国家観が、『老子』解釈という形でもって結実した、ある時期の集大成として御注・御疏を見ることで、本研究の分析は一定の枠組みを得ることができた。
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