2015年度は、研究課題である朝河貫一と胡適の間にみられた思想的交流について、4月11日に早稲田大学でおこなわれた第101回朝河貫一研究会において、「朝河貫一と中国知識人」と題し、発表をおこなった。その後、発表内容を文章としてまとめ、8月に発行された『朝河貫一研究会ニュース』第86号に寄稿した。 この論文では、福島県立図書館に所蔵されている未公刊の「朝河貫一書簡資料集」をもとに、胡適をはじめとした中国知識人との交流の一端を考察した。とくに従来、差出人がイニシャルで不明とされてきたいくつかの手紙が、近代中国を代表する経済学者であった馬寅初が書いたものであると特定できたことは大きな成果といえる。胡適が主催した『独立評論』に、しばしば寄稿していた何廉と朝河の間にみられた交友関係も、書簡の解読を通じ明らかにすることができた。 本年度はまた、朝河や胡適が大きな関心をいだいていた博覧会事業に着目し、1910年におこなわれた中国で最初の全国的博覧会であった南洋勧業会をめぐる日中関係の諸相を分析した。その成果が10月に公刊された佐野真由子編『万国博覧会と人間の歴史』に寄稿した「南洋勧業をめぐる日中関係」である。この論文では、厳復が翻訳したT. H. ハクスリーの『天演論』を読み、社会進化の基礎に生存競争が存在すると認識した胡適が、その競争を促進する西洋由来のイベントとして、博覧会事業をどのようにとらえていたかを、当時彼が『競業旬報』に寄稿した文章などをもとに明らかにしている。
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