研究課題/領域番号 |
26770060
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
本田 晃子 早稲田大学, 高等研究所, 助教 (90633496)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | ソ連建築 / 映画 / マスメディア / 全体主義 |
研究実績の概要 |
1930年代に建設が開始され、その豪奢な内装によって知られるモスクワ地下鉄駅は、社会主義の理念と偉業をプロパガンダするための空間、「地下の宮殿」でもあった。これらのモスクワ地下鉄駅はしばしばソヴィエト映画の背景にもなり、首都モスクワという空間の神話化に大きく寄与した。当時のソ連では、市民の自由な移動は制限されていたために、地方に住む多くの人びとはただ映画のスクリーンを通してのみ、モスクワの壮麗な地下鉄空間を経験しえたのである。 2015年度の研究では、このようなモスクワ地下鉄神話が、スターリンの死後に映画の中でどのように解体されていったのかを調査した。そこで具体的に取り上げたのが、ポスト・スターリン期に活動を開始した映画監督ゲオルギー・ダネリヤの、『モスクワを歩く』(1963年)と『ナースチャ』(1993年)の二本の映画である。 フルシチョフ期に制作され、「雪解け」の時代の象徴となった『モスクワを歩く』の分析では、スターリン期に制作された映画の中の地下鉄駅の描写との比較を行った。それによって、後者では地下鉄駅が鑑賞の対象=モニュメントとして機能しているのに対して、前者では地下鉄駅は公共交通空間という本来の機能を取り戻していることを明らかにした。 一方『ナースチャ』の分析では、もともと装飾性を欠いたシンプルな地下鉄駅が、劇中で宮殿のように飾り付けられ、一時的に交通機能を失うシークエンスに注目した。そしてそこから、地下鉄言説を単に否定した『モスクワを歩く』対して、『ナースチャ』では地下鉄言説そのものの意識化・問題化がおこなわれていたことを指摘した。 このような具体的な映画作品の分析を通して、本研究ではスターリン時代にメディアを通じて作り出された空間の権威が、再びメディアを通じて解体されるにいたったプロセスを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まず2014年度から継続している、ソ連建築家イワン・レオニドフの労働者クラブ建築をめぐる研究テーマに関しては、当初の計画通り夏季に行われた国際学会で報告を行い、その後一部内容を改定し、最終的な結論を論文化、所属する早稲田大学高等研究所が発行する紀要に投稿した(すでに掲載済)。加えて、同テーマに関しては東京大学総合研究博物館での定例イヴェント「建築博物教室」でも、一般聴講者向けに講演を行った。 同じく2014年度より継続しているアレクサンドル・メドヴェトキン監督の映画『新モスクワ』内におけるモスクワ改造計画の分析については、当初は国内向け学会誌への投稿を予定していたが、ロシア文化に関する国際的な学術論文集の刊行企画に参加することになったため、ロシア語に翻訳し、同書に寄稿した。 またダネリヤ監督の二作品内におけるモスクワ地下鉄のイメージに関する研究については、2014年秋にロシア文学会大会において報告を行い、2015年8月~9月にかけてのモスクワ渡航調査によって、追加の資料収集を行った。そこで得られた情報をもとに、論文を執筆、同学会の学会誌へ投稿した(採録未定)。 さらに、ポスト・スターリン期のソ連建築政策に関する研究をすすめる中で、当初の計画には含まれていなかったが、フルシチョフ期に行われたソヴィエト宮殿設計競技に注目した。というのも、同コンペがフルシチョフ時代の建築政策の転換、とりわけ新しい公式建築様式の形成に、決定的な影響を及ぼしたからである。ソヴィエト宮殿設計競技をめぐる論争やその結果に関しては、京都大学地域研究統合情報センターおよび表象文化論学会において報告を行った。
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今後の研究の推進方策 |
2016年度も引き続きソ連・ポストソ連期の映画内における地下鉄イメージを論じていく。モスクワの地下鉄駅は、第二次世界大戦中にはドイツ軍の空爆に対する防空壕としても機能し、戦後にはそれまでの華美な「地下の宮殿」というイメージに、市民にとっての「安全なシェルター」というイメージが付け加えられた。だがその一方で、地下鉄内の事件や事故、災害など、この地下鉄神話に矛盾する出来事は、新聞報道からも映画の虚構の世界からも締め出された。 危機の場としての地下鉄空間が映画の中に出現しはじめたのは、1980年代以降である。その端緒となったのが、実際のトンネル水没事故を扱った『決壊』(1986年)など、現実の事故や災害を直接的なテーマとした作品だった。これらの作品では、社会主義リアリズムの規範に則り、不慮の出来事は最終的には必ず秩序の側へと回収された。それに対してソ連崩壊後には、地下鉄内の無差別連続殺人を描いた『パイロットたちの科学セクション』(1996年)などに見られるように、地下鉄空間は理性によっては読み解くことのできない、暴力と破壊に満ちた場へと変貌する。今年度の研究では、このような地下鉄描写の変化のメカニズムについて、地下鉄空間の表現手段(ロケ、セット、CG)などに着目しながら論じていく。これらの課題に関しては、9月~11月にかけて行われる国内外の学会で報告を行い、その後学会誌等に投稿を行う予定である。 また地下鉄論と並行して、エイゼンシテイン映画におけるモダニズム建築の役割の分析という課題に関しても、資料収集に取り掛かる。それに際して、2016年度夏季には、ロシア及びフランスを訪れ、エイゼンシテインと交流のあった建築家ル・コルビュジエ、アンドレイ・ブーロフらの作品や資料の調査を行う。
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