研究課題/領域番号 |
26770081
|
研究機関 | 愛知県立大学 |
研究代表者 |
三宅 宏幸 愛知県立大学, 日本文化学部, 講師 (90636086)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | 馬琴 / 巡島記 / 読本 / 考証 |
研究実績の概要 |
本研究は、近世後期読本の戯作者が行っている考証に着目し、その考証が著された随筆と読本との関連を探るものである。今年度は曲亭馬琴を中心に検証を行った。 馬琴は考証随筆『燕石雑志』(文化8〔1811〕年刊)、『烹雑の記』(文化8年刊)、『玄同放言』(文政元〔1818〕年刊)を執筆し、かつ数種の小説批評を著している。馬琴の考証については、研究史上においても早い時期に著されたもので、後世における評価も高い。しかし、馬琴の考証と読本については、例えば大高洋司氏の論考によっていくつかは分析されているものの(「文化七、八年の馬琴―考証と読本―」1995)、文化期の考証が中心で文政期の『玄同放言』の検証は少なく、学界においても網羅的な研究が為されていないのが現状である。馬琴の考証随筆は多くの資料や研究書を博捜して記され、彼の思想や歴史観が表れた第一級資料である。それら考証の実態を踏まえた上で、読本への影響を解明することを目的とする。 今年度は具体的に『朝夷巡島記全伝』(文化12〔1815〕年刊)を対象に比較・検証を行った。馬琴が著した考証随筆『玄同放言』(文政元〔1817〕年刊)に「夷三郎」の考証がある。この夷は、元は記紀神話に登場する「蛭子」(ヒルコ)に由来し、肢体が不自由な「蛭子」は「蛭(ひる)」のような「子」とする解釈が当時大勢を占めていた。だが馬琴は、荻生徂徠の考証を踏まえながら、ヒルコは「日子」、つまり天照大神と対応する男の太陽神で、不自由なのは貴種の神性を示すと解釈した。この考証が、『巡島記』の主人公朝夷三郎義秀と関わってくる。彼は幼少期が「蛭児の神に異ならで」と表現される赤子であり、馬琴の創作である『巡島記』の主人公と、同時期の「ヒルコ」考証との連関性がうかがえる。そしてその関連は、義秀の運命や物語の構想とも深く関わる趣向として組み込まれていることを明らかにした。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は馬琴読本と考証との関連の比較・検証に加え、2年次に検証を行う山東京伝や石川雅望の各作品について、資料や紙焼きの複写も収集しており、その研究環境は整いつつある。 今年度は上記【研究実績の概要】の通り、馬琴読本『巡嶋記』を対象に考証との関連についての研究を行った。その成果は学会の学術雑誌『近世文藝』(2015年7月刊行予定)に掲載される予定である。 また、当初の計画にはなかったが、馬琴の中編読本『占夢南柯後記』(文化9〔1812〕年刊)にも馬琴の考証からの影響が看取できることに気付いた。現在はその観点からも調査を行っている。したがって本研究は、おおむね順調に進展していると判断する。
|
今後の研究の推進方策 |
平成26年度は馬琴を中心に扱ったが、山東京伝や石川雅望の作品についても検証を行う。 京伝では特に、考証との関わりが指摘されている『復讐奇談安積沼』(享和3〔1803〕年刊)について、彼の考証随筆『近世奇跡考』(文化元〔1804〕年序)や『骨董集』(文化10〔1813〕―同12〔1815〕年刊)との関わり、また典拠などの調査から、本作の作成手法についての調査に力を入れる。 雅望については、『源氏物語』などの日本の古典を研究する一方で、『通俗醒世恒言』(寛政元〔1789〕年跋)や『通俗排悶録』(文政11〔1828〕年刊)など、中国小説の翻訳も手掛けており、『飛弾匠物語』(文化5〔1808〕年刊)が、李漁作『笠翁十種曲』「蜃中楼伝奇」と『更級日記』の竹芝寺伝説とを組み合わせた基本構想に、『今昔物語』『源氏物語』などを利用して綴られたことを鑑みても、雅望は和漢の小説に精通している。それら日本の古典や中国白話小説研究という考証から読本への応用について調査する。
|
次年度使用額が生じた理由 |
2014年4月に身内に不幸があり、予定した調査旅行の費用が浮いたことに加え、必要な研究資料や書籍をインターネットや古本屋で調達したことにより、当初の計画より使用額が抑えられた事情による。
|
次年度使用額の使用計画 |
次年度では研究調査旅費に使用する。具体的には、天理大学(奈良)や広島大学(広島)への旅費に使用する。加えて、研究資料の収集に充てる。
|