本年度は好華堂野亭の作品、主に『楠正行戦功図会』(文政4、7年刊)、『義経勲功図会』(文政8、9年刊)、『木曽義仲勲功図会』(天保4、9年刊)を扱い、それらのいわゆる〈図会もの〉について野亭の特徴をあぶりだそうと試みた。従来の〈図会もの〉は秋里籬島の著述が主であり、軍記物語を図会化した『源平盛衰記図会』(寛政6年刊)、『保元平治闘図会』(享和年刊)、『前太平記図会』(享和3年序)などが刊行されていた。これらは、先行研究では軍記に挿絵を加えて通俗化したことや、創作性を抑えて入門書として刊行されたことの評価などがあった。しかし、野亭の著した〈図会もの〉には、『通俗三国志』(元禄5年刊)や『通俗漢楚軍談』(元禄8年刊)といった近世前期に刊行された中国講史小説が利用されており、軍記物語と共通する場面に故事として用いたり、軍記物語には描かれない〈虚構〉が物語内の趣向として描き出されている。通俗軍談を利用することで、登場人物の行動を正当化したり、あるいは智勇という性質を賦与していることが見て取れる。野亭の〈図会もの〉は、籬島のそれとは異なった面が見出せることを明らかにした。また、通俗軍談を利用する際に、野亭の歴史理解(木曽義仲が松殿の娘を娶る場面の記述)、あるいは考証と思われる箇所も見られ、一般的な歴史理解とは異なった描写がなされることも確認できた。また、野亭の遺作である『扶桑皇統記図会』(嘉永2、3年刊)にも『通俗三国志』由来の趣向が看取できたが、その際の野亭の記述には誤りがあった。このことから、野亭が中国小説を机上に置いて作品を著述したのではなく、記憶を頼りとしていたと想像される。野亭にとって、中国小説は自家薬籠中のものであり、今後、野亭作品と中国小説との関わりをさらに調査するという課題も見えた。
|