本年度は、室町時代における『太平記』の様相について二本の論文で明らかにすることができた。その一つは、『宣胤卿記』の記事内容の検討から今川氏親の『太平記』観を再考し、従来の説に見直しを迫った「今川氏親の『太平記』観」である。これまでは、今川氏親の『太平記』観は、南北朝時代の武将今川了俊のそれと同じで、『太平記』を正史のごとくにみなしていた故に、氏親は先祖了俊が著した『難太平記』を持ち出し、了俊と同様に『太平記』に自家の功績が記されていないことを嘆き、宣胤に『太平記』への加筆を要求したという説が定説であった。しかし、『宣胤卿記』を丁寧に読み直すと、宣胤は『太平記』改訂に影響を有していた人物とは考えられない。また、氏親に与えた抜き書きには『太平記』所載の今川氏関連の記事がまとめられていたと考えられ、そこには今川氏の活躍が劣んどなかったと判ぜられるのである。氏親は宣胤に対し、そのことを弁明するために『難太平記』を持ち出したのであり、了俊と氏親の認識は同一とは考えられない。それどころか、氏親は『太平記』を過去の書と認識していたと考えられるのである。もう一つの論文「『大館持房行状』にみる五山僧の『太平記』受容」では、八代将軍足利義政の近臣大館氏の出である景徐周麟が著した家伝の分析から、室町時代の将軍周辺・禅林社会における『太平記』の受容について具体的に明らかにした。すなわち、『大館持房行状』には天正本系の『太平記』が利用され、先祖が足利将軍をも窮地に追い込んだことが記されている。これにより、義政周辺に異本系の『太平記』が存在したこと、将軍近臣が『太平記』を利用して足利氏を相対化していた事実を明らかにすることができ、『太平記』を室町幕府の正史のような書とみなす現在の有力な説を批判した。なお、今年度はニューヨークスペンサーコレクション、メトロポリタンミュージアムでの調査も行った。
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