本年度は、前年に収集してきた歌舞伎役者の信州川路興行関連資料を検討した。そうしたところ、五代目市川海老蔵は、川路に来る直前、甲州亀屋座に出演していたことがわかった。もちろん、亀屋座に出演していた全部の役者が川路に向かったわけではない。そこで新たに山梨県立博物館を訪れ、甲州亀屋座に出演した歌舞伎役者の「芝居番付」を調査した。亀屋座の運営を取り仕切る亀屋与兵衛と川路村の芝居興行を主催する川路村庄屋との間にどのような関係があったのかは、現時点では不明だが、地方の芝居興行のネットワークの一端を解明できる可能性も出てきた。今後究明すべき課題である。 並行して、早稲田大学演劇博物館に寄贈・寄託された川路村の芝居興行関連資料を、昨年に引き続き調査し複写を行った。現段階では複写が全て完了していないので、今後も引き続きこの作業を進める。 また、川路村の庄屋をはじめとする芝居興行開催に尽力した人々と、江戸・上方の役者との具体的な交流が、今回調査した資料群、特に書状や屏風などの資料に示されていたことが判明した。 本年度は、早稲田大学にて開催された社会経済史学会第84回全国大会のパネルディスカッション③「民間芸能の発展と地域社会 ―徳島の事例を中心に―」で「『江戸三座永続願い』一件と歌舞伎役者の経済基盤」と題する報告を行った。文政11年(1828)8月、三座座元は町奉行に、信州川路興行にも来演した役者も含め、千両の給金を得る江戸三座の主立った役者を告発する内容の「三座永続願い」を提出した。江戸歌舞伎を成立させる要素を背景に役者の経済基盤を捉えることで、座元対役者という従来の視点ではなく、役者と贔屓の関係を主眼においた新たな視点でこの一件が捉えることができることを明示した。
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