本課題研究が得た成果は、以下3点に関するものである。 1点目は、五井蘭洲の和学についてである。蘭洲の和学書としては、万葉集注釈書『万葉集詁』、古今集注釈書『古今通』、伊勢物語注釈書『勢語通』、源氏物語注釈書『源語詁』『源語提要』などが知られている。報告者はこれらのうち主に『勢語通』に注目し、一段ずつ精読した。方法としては『勢語通』の初稿本と最終稿本を比較して蘭洲の伊勢物語注釈の生成過程を押さえつつ、『闕疑抄』『勢語臆断』などの先行する注釈書、『古意』などの同時代の注釈書にも目を配り、伊勢物語注釈史上の立ち位置を明らかにしていった。蘭洲は、伊勢物語が業平の自記に基づき、後に伊勢が追記したものと考えており、初稿本から最終稿本まで一貫してゆるぎない。この見解は基本的に『闕疑抄』に基づき、一方で『古意』とは鋭く対立する。 2点目は、蘭洲が加藤景範・上田秋成に与えた影響についてである。景範は近世中期の上方で活躍した歌人であるが、『いつのよがたり』という擬古物語も著している。これは蘭洲が著したと目される『続落久保物語』の後に位置づけられるべき作品である。『いつのよがたり』はある帝の半生を描いたものである。帝には景範の理想とすべき天皇像が反映されているが、御修法への問題視や漢風諡号・天皇号の復活など、それらの多くは蘭洲や中井竹山などの思想と一致する。また、上田秋成と蘭洲の関係については、従来伊勢物語注釈上の影響関係が簡単に指摘されてきたが、秋成は前述した蘭洲の立場とは異なる見解を示しているなど、一概に蘭洲の和学を吸収したとは言えない。 3点目は、江戸派の国学者による物語創作についてである。これは上方における蘭洲や景範、秋成の物語創作を相対的に把握するために行った。結果、江戸派の国学者たちが幕末に至るまで、掌編物語と呼ぶべき短編の擬古物語を営々と著していることが分かった。
|