本研究では物質主義的・合理主義的文化が興隆を迎えようとしていた20世紀初頭の米国において、さまざまな非-制度的宗教がいかに当時の文学作品に表象されていたのか、ということを探るものである。「教会」という組織に守られた制度的宗教の形骸化が加速度的に進行するなか、民衆の新たな救済となったのは、個々人がそれぞれ体験する超越的な出来事であり、それはありふれた日常のさなかでおこるものである、ということをモダニストの作家たちは繰り返し描いた。最終年度にあたる本年は、平成26年度、27年度の2年間におよぶ基盤研究および研究発表を踏まえて、1本の論文を論集に発表した(2017年5月21日に研究社より出版が決定している)。前年度において、モダニズム文学の宗教性の在処を探るうちに深く関心を寄せるに至ったのは、「教会」外の場としての「日常」であった。「日常」とは一見何の出来事も発生しない(つまり、際立った「啓示」的瞬間がない)ゆえに、宗教的なものの顕現とはかけ離れて見えるかもしれないが、最終年度で考察したのは、不意に訪れる稲妻のような「啓示」的認識ではなく、日常の中において徐々に形成されていくような「気づき」の感覚である。それはキリストの再来といった際立った出来事としての救済ではないのだが、日常を生き延びるにはじゅうぶんな力を与えてくれる「救済」の一形式として「気づき」である。こうしたことを、1950年代に発表された米国の代表的青春小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に関する論文にて考察した。
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