本研究では、日本近世の天皇家の葬送儀礼・先祖祭祀について、皇室の菩提寺泉涌寺や宮内庁書陵部に所蔵される膨大な史料を収集・分析し、その実態と展開を解明しようとしたものである。朝廷の長たる天皇(院)の死は、朝廷とそれをとりまく都市京都に大きな影響を与えた。朝廷では、関白・武家伝奏・議奏などの運営機構と、天皇の死に際して任命される凶事奉行が葬送を取り仕切った。最も盛大に行われたのは、近世天皇家の祖ともいうべき後水尾院と、その后で徳川家から嫁した東福門院であったが、女院は100回忌を最後に朝廷の公的な法会は行われなかった。泉涌寺での法事には、女官の代拝もみられ、近代以降も形を変えて引き継がれていく。
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