本研究は、これまで単なる右翼政治家としてしかみられてこず、体系的な分析が行われてこなかった平沼騏一郎に注目し、平沼の政治家としての活動時期全体の分析を行うことで、国粋主義的な言動にもかかわらず、大物政治家とみられ続けた理由と、政治的マイナスイメージが定着した要因の両方を明らかにしようとするものである。それによって、それら2つの要素を統一的に解釈し、政治家としての平沼を再評価する過程で、近代日本全体が意識した政治課題を把握するとともに、近代日本の政治の水準を解明して、近代日本政治史研究を深化させることを本研究は目的としている。 平成28年度においては、1920年代の平沼について分析を行うとともに、政治家としての平沼の全体像をこれまでの研究成果から考察した。 まず、1920年代の平沼については、平沼の執筆した文章をもとに分析を行ったが、1930年代の平沼とあわせての分析が必要と考え、天皇機関説問題前後の国体論との違いを考察した。そうした分析の結果として、1920年代から30年代にかけて平沼の国体論に大きな変化はなく、それゆえに天皇機関説事件への平沼の関与は薄いことが実証された。この結果については、平成28年度中に2回の口頭発表を行うとともに、現在論文として発表する準備を進めている。 また、平沼の政治家としての全体像については、平沼の政治スタンスが分析をした全ての期間についてある程度一貫しており、分立的統治構造そのものを存置しつつ、人的力量を重視していたことが実証された。
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