本研究では、第一段階として1864年(元治元年)の下関戦争、第二段階として1865年(慶応元)の第二次長州出兵を対象として、イギリスと長州藩の関係を解明してきた。最終年の平成28年度は、第三段階として1866年(慶応2年)の幕長戦争を対象とし、イギリスがイギリス政府と幕府・長州藩の関係をどのように位置づけたのか、幕長戦争に対するイギリスの中立方針にはどのような目的があったのかについて、英公使パークス・仏公使ロッシュと幕府老中の会談、英公使パークスの告示などを基に次の点を明らかにした。 まず、イギリス政府と英公使パークスの中立方針は、幕長戦争下においても貿易を継続することを目的としたものである。そのため、イギリス政府との関係について条約を締結している幕府が正式な関係にあるとした。同時に英公使パークスは、幕府が戦争中に下関海峡を外国船が自由通航することを禁止したことに抗議し、貿易継続のために下関での戦闘回避を幕府に要求した。また、自国の船舶に対しても違法貿易を処罰する告示を出し、長州藩・幕府のどちらに対する支援も禁止して中立を堅持しようとした。それはまた、戦争においては幕府と長州藩の立場を対等に位置づける立場をとったと言える。 本研究成果の意義としては、英公使パークスが、中立を示しながら戦争における幕府と長州藩の立場を対等に位置づけた点を明らかにしたことである。それは、戦況を観察することで、今後、イギリスにとって自由貿易拡大が可能になる権限がある方、つまり政権掌握の力がある方を見定めようとしていたと言える。通説では、幕長戦争終結後、1867年(慶応3年)の王政復古に至る過程において、フランスが幕府を支援し、イギリスが長州藩や薩摩藩などの雄藩を支援したとする。よって、今後の課題としては、イギリス政府・英公使パークスと薩長両藩の関係を中心に通説的見解を再検討する必要がある。
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