18-19世紀初頭の清朝の対外政策は地方政府が管理しており、清朝中央はそこに関与しようとはしなかった。これはカントンシステムの運用においても同様であるが、それはカントンシステム下で行われる対外貿易の清朝経済に与える影響が必ずしも大きいものではなかったからである。 1830年代後半、アヘン密輸拡大に伴う銀流出と清朝国内経済の不調が結び付けられると、清朝中央はカントンシステムに積極的に関与し、イギリスとの緊張が高まった。すなわちアヘン戦争は、清朝の国内経済と対外貿易との関係についての認識の転換が引き起こしたものであったのである。
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