研究実績の概要 |
国際会議“Wild Spaces and Islamic Cosmopolitanism in Asia,” National University of Singapore, January 14-15, 2015に提出したフルペーパー“Swaying between the Umma and China: the Survival Strategies of Hui Muslims during the Modern Period”において、近代中国ムスリムの代表的知識人、王靜齋の主著『古蘭經譯解』をめぐり、次のような成果を示した。第一に、『古蘭經譯解』の三つの版本(1926年ごろ完成の甲本、1937年から38年にかけて作成された乙本、1938年作成開始、1946年刊行の丙本)を、そのアラビア語・ペルシア語原典と比較しつつ、彼の「ウンマ」に関する観念を析出した。そして、王靜齋が、中国ナショナリズムへの配慮から、国民国家の枠を越えた全世界のムスリムを一つの共同体(ウンマ)と表明することを忌避していたことを明らかにした。第二に、『古蘭經譯解』の三つの版本から、彼の「イスラームの家」に関する言説の変遷を確認した。それにより、王靜齋が、1937年以来の抗日戦争を「防衛ジハード」とする言説に呼応して、中国を「イスラームの家」(ジハードで防衛すべき、ムスリムの領土)とみなした、と論じた。第三に、以上のような王靜齋によるクルアーン翻訳・注釈を、当時の中国ムスリムの言説空間に位置づけるべく、彼らの代表的な定期刊行物『月華』を分析した。結果、『月華』では、蒋介石の同化政策が顕著となる1939年7月以降、中国ムスリムはムスリム共同体(ウンマ)の一部であると示唆されるようになることが、判明した。かくして、王靜齋が、ムスリム共同体の存在を認めなかった点で際立つことを指摘した。
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