研究課題/領域番号 |
26770241
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
中西 竜也 京都大学, 白眉センター, 助教 (40636784)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 比較・交流史 / 東アジア史 |
研究実績の概要 |
日中戦争中に作成された王靜齋『古蘭經譯解』乙本・丙本では、中国ムスリムが「中華民族」の一員として抗日戦争に積極参加することを鼓舞するために、中国が「イスラームの家」とされ、抗日戦争が「防衛ジハード」と位置付けられた。いっぽうで、本来「防衛ジハード」によって守られるべき「イスラームの家」の領有者であるウンマ(国民国家の枠を超えたムスリム共同体)の存在が、中国ムスリムの「中華民族」への排他的帰属を危うくするものとして曖昧化された。前年度にある程度明らかにしておいたこの点を、今年度はより深く掘り下げた。 まず、王靜齋が主宰した定期刊行物『伊光』にも、ウンマの曖昧化とパラレルな言説として、世界中のムスリムを「中華民族」に比肩するような一つの「民族」とみなすことへの反対意見を見出した。また、日中戦争以前に刊行された『古蘭經譯解』甲本では、ウンマが「民族」と訳されていたが、これが選択的・意識的な訳であったことを、先行するクルアーン漢訳、鐵錚『可蘭經』や姫覺彌『漢譯古蘭經』、およびその原典となった坂本健一の和訳やRodwellの英訳との比較から明らかにした。 加えて、王靜齋のウンマ理解を相対化すべく、前近代中国ムスリムのウンマ観念についても調査した。具体的には、ウンマの存在を前提とする、イスラーム法学の「集団的義務」の観念が、彼らのあいだでどのように表現されたかを検討し、以下のようなひとまずの結論を得た。すなわち、前近代中国ムスリムがイスラームを「聖人」の「教」として表現する際、ウンマを担い手とする「集団的義務」は、個人の倫理規範に還元されて正当化された。それは、「集団的義務」の内在的論理を、「聖人」の「教」に照らして説明しえなかったからだろう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
本年度は、王靜齋『古蘭經譯解』における家族関係についての記述の分析を行う予定であったが、前年度の知見の掘り下げ、精緻化に予想以上の時間を費やしてしまい、本来の計画遂行が大幅に遅れてしまった。
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今後の研究の推進方策 |
来年度は、ひとまず計画どおりに、3年目に予定していた課題に取り組む。すなわち王靜齋『古蘭經譯解』における聖者崇拝についての記述の検討を進める。時間に余裕があれば、本年度の課題である、家族関係についての記述の考察にも従事する。
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次年度使用額が生じた理由 |
英文校正費用に充てるために使用せずにいたが、英文校正の必要性がなくなったため、次年度使用額が生じた。
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次年度使用額の使用計画 |
次年度に新たに発生することが予測される、英文校正費用に充てる予定である。
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