研究課題/領域番号 |
26770242
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
土口 史記 京都大学, 人文科学研究所, 助教 (70636787)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 秦簡 / 令史 / 曹 / 文書行政 |
研究実績の概要 |
当初計画に則り「里耶秦簡の古文書学的研究Ⅱ」との題目で研究を実施し、昨年度に引き続き『里耶秦簡(壹)』所載の文書簡牘の検討を進めた。特に県長官の秘書たる「令史」の動向を中心として検討し、論文「秦代の令史と曹」(『東方学報 京都』90冊)を公刊した。令史は県廷作成のほとんどの文書にその書き手として署名を残しており、また文書の送達、受領、開封、修正、整理などあらゆる文書処理に関わっている。一方、『里耶秦簡(壹)』の公表によって、令史が「曹」と呼ばれる業務単位に配分されていることが明らかになってきた。しかし私見によると「曹」は秦代においては地方行政機関としては極めて未熟な存在であった。すなわち、曹は秦代の法律条文には見えず、また当時の地方官吏の名簿にもその名が見えない。曹とは文書の窓口や文書整理の表題として現れるのみであって、単なる文書処理の単位にすぎなかった。この状況が漢代中期以降に変化し、曹は明確に行政組織としての内実を備えて機能しはじめる。曹は「官」の担った行政実務の権限を奪い取って行政組織としての実質を獲得したのである。以上のように秦代における令史の性格とその制度史的展開を明らかにしたことが本稿の主たる成果である。 また、次年度の課題たる辺境漢簡の研究にすでに着手し、8月27日から30日にかけてロンドン・大英図書館においてスタイン将来敦煌漢簡の調査を行い、特に文書簡の筆跡と署名を中心に実見した。 以上の成果は、東京大学・京都大学の共催による『「つながる・史料と研究」東洋学・中国若手研究者のための合宿ワークショップ』(於東京大学運動会山中寮内藤セミナーハウス、2016年3月19~21日)において講師を勤めた際にも大いに活用された。ここでは「秦漢時代の簡牘文書」と題するワークショップを担当し、里耶秦簡および辺境出土漢簡に基づく最新の知見について自身の研究成果を交えて解説した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
前年度に引き続いて里耶秦簡の古文書学的研究を順調に進めることができた。前年度は里耶秦簡所見の官制構造についての成果を公刊(拙稿「里耶秦簡にみる秦代県下の官制構造」『東洋史研究』73-4、2015)していたが、これはいわば秦代官制の静態面を復元したものであり、ここから自ずと生じる次なる課題は、その動態面ないし史的展開について考察するということであった。そこで本年度は、重要官職と認知はされてきながらもその性格が明確でなかった令史とその業務担当範囲を示す「曹」について、秦漢時代の歴史的展開のなかでその発展の軌跡を描き出すこととした。前年度の研究の過程で得られた着想を論文として公刊できたことは、研究の順調な進展を端的に示す成果である。また令史と曹の問題については既に中国においても短期間内に複数の論文が提出されており、秦漢史研究、簡牘研究において非常に関心の高い分野と言え、拙稿もまたこの国際的な議論に参加するものである。 また前記のように、当初計画では次年度に予定をしていた大英図書館での調査を前倒しし、本年度において一部実施することができた。この点が当初の計画以上に進展すると評価する所以である。当該館所蔵の漢簡は、既にいくつかの報告書が出版されており、その全貌はおおよそ明らかになっている。さらに国際敦煌プロジェクトのデータベースも存在し、使い勝手が万全とは言い難いものの、未出版の赤外線図版を掲載するなど、利用価値の高いものである。しかしながら、実見で得られる情報は図版の比ではない。また図版と実物との「距離」を掴むこと、すなわち写真版ではいかなる情報が見えづらくなるのか、筆画と陰影とをいかに判別すべきかなどといった感覚は、実物を見ることによって初めてその精度を高めることができる。こうした認識を得られたことは、次年度以降に予定している漢簡研究に直結する成果であったといえる。
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今後の研究の推進方策 |
次年度においては、当初計画どおりに漢簡研究、および本研究の申請には予期していなかった新たな秦簡の公表に対応した研究を実施する予定である。 第一に、漢簡研究についてであるが、居延・敦煌地域を中心として出土した辺境漢簡は、現在なお出土例が増え続けている。そのうえ、それらと共通の語彙を有する里耶秦簡の公表によって、既存の辺境漢簡に対しても、語彙の比較等を通じたより正確な読解が期待できるようになった。これが辺境出土漢簡の再検討が要請される所以であるが、一方で両者が出土した地点の行政機関としての性格が異なることには留意が必要である。すなわち辺境漢簡は軍政系統、里耶秦簡は民政系統において出土したものである。既に、辺境漢簡の研究においては、「候官」が文書作成の最末端機関であり、その機能を文献資料と照らし合わせることで、その機能が内地における「県」と共通していたことが明らかにされている。しかしながら、こうした研究は、出土資料に対して文献史料を照合するというもので、異質な資料間の研究にとどまっていたことが難点であった。そこで実際の行政文書たる里耶秦簡が得られた現在では、同じく同時代資料に基づき比較検討する研究手法が有効となる。以上の展望に基づき、行政機関として同格である候官と県とにつき、両者の官制構造とその機能上の共通点・相違点の解明を目指したい。 第二に、新たな秦簡への対応について。ごく最近、秦代官制史・文書行政史における重要資料となる『岳麓書院蔵秦簡』の第四冊が出版された。本書にはもっぱら秦律を掲載しており、第三冊の奏ゲツ書とあわせて、秦の司法行政の実態をさらに明らかにするものである。これについては私の所属する京都大学人文科学研究所において「秦代出土文字史料の研究班」が発足したこともあり、そのメンバーとして逐一専門家の批判を仰ぎつつ、秦漢簡牘研究をさらに深化させていきたい。
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