本研究では長江下流域から出土した「戦国楚墓」「楚国の墓」とされる墓を再検討し、それらの中には越や淮夷の文化を色濃く継承した墓や秦文化の要素を含む秦漢時代に造営された墓も多いことを証明した。その成果と文献の記述を照らし合わせてみると、楚文化は春秋時代には当地に伝播していたものの、楚の実効支配や楚人の移住は、従来の認識よりも遅く、戦国後期になってようやく本格化したものと考えられる。漢建国の功労者達の多くは当地の出身であるが、本研究により彼らのルーツが戦国楚に限らず多様であったことが明らかとなり、彼らが出自は多様でも楚文化に淵源を持つ文化を共有していたことが漢帝国の成立には重要であることが判明した。
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