本研究は、飛鳥地域出土の土器群と難波地域出土の土器群の比較から、前期難波宮の造営年代および7世紀半ば以降の宮都の変遷過程を再検討することを目的とする。7世紀の宮都の実年代を考える主たる指標は土器であり、7世紀の畿内の土器編年は飛鳥地域の土器を基準としている。しかし、その基準資料のいくつかは概要が報告されているに留まり、大きな問題となっている。このような現状を考慮し、本研究では、土器基準資料の全容把握を第一の研究課題としている。 研究最終年度である平成29年度は、昨年度に引き続き、7世紀の土器基準資料のうち全容が不明である坂田寺池SG100出土の土器群の再整理作業を進めた。また、比較検討のため、難波宮跡等から出土した7世紀代の土器群の実見調査を行った。以上の成果をもとにしたSG100出土土器群の再整理報告を、2018年6月刊行の『奈良文化財研究所紀要2018』に公表予定である。 本研究の主な成果は、実態が不明であった坂田寺SG100出土土器群の全体像を明らかにしたことである。他の飛鳥地域出土の土器群との比較から、年代的位置づけに関しても一定の見通しを示すことができた。 また、SG100出土土器群の再整理作業が完了したことで、難波地域出土の土器群との併行関係を詳しく検討することが可能となった。前期難波宮の造営期に比定されている難波宮水利施設第7層出土土器群とその次段階にあたる難波宮北西谷第16層出土土器群と、SG100出土資料の様相比較を通して、前期難波宮の主要殿舎が孝徳朝に全て完成していたかどうか、再検討の余地があることを指摘した。 7世紀の古代宮都の変遷過程全体の見直しにまでは、検討を進めることができなかったが、7世紀の実年代の基準となる坂田寺SG100出土土器群の全容を公表し、前期難波宮の年代や造営過程につき、検討課題を明らかにできた点は重要である。
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