本研究は、古代都城造営における物資の生産・供給に関するシステムの一端を、瓦を通して解明するものである。これまで藤原宮と平城宮の造瓦体制について、瓦の製作技法を中心にデータを収集し、それをもとに研究をおこなってきた。最終年度である2017年度は、これらの成果を生かしつつ、藤原宮から平城宮へと造瓦技術や生産体制がどのように移行したのかという視点で研究を進めた。その結果、以下の知見をえることができた。 ひとつめは、藤原宮の瓦窯は、平城宮には直接瓦を供給していないことが、平城宮における藤原宮式の分布状況からほぼ確実となったことである。したがって、藤原宮の造営終了とともに、藤原宮の瓦窯も操業を停止し、平城宮の瓦はすべて平城宮造営にともなって新設された奈良山瓦窯群で生産されたものとおもわれる。次に、平城宮の瓦生産初期段階の瓦窯である奈良市中山瓦窯の瓦は、製作技法の特徴から大和郡山市西田中・内山瓦窯の瓦工人の関与が認められ、従来から指摘されていたように、藤原宮の瓦工人の一部が平城宮の瓦生産にたずされっていた可能性が高い。また、中山瓦窯の瓦窯構造に関しては、西田中・内山瓦窯よりも、むしろ橿原市日高山瓦窯や高台・峰寺瓦窯と共通性があり、これらの瓦窯の瓦工人が関与した可能性も考えられる。 このように、藤原宮から平城宮への移行を、具体的な瓦製作技法や瓦窯構造から、その系譜を明らかにできたことは大きな成果と考えている。また、都城の瓦生産を考えるには、瓦だけでなく瓦を焼成した瓦窯からの視点も不可欠であることを痛感した。本研究により、今後の自身の都城の瓦生産という研究課題を展開させるうえでひとつの方向性を得ることができた。なお、これらの成果については、第14回窯跡研究会にて報告し、論文として公表した。
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