少年犯罪の社会問題化は、1997年の神戸・連続児童殺傷事件報道において、事件を個人にも社会にも問題を還元せずに「考え続けよう」とした新聞各社のジャーナリズムの良心が、逆に少年犯罪を過大に不可解な問題とさせてしまった「意図せざる結果」に端を発していると考えられた。また、社会問題化の収束は、ニュース・フレームそれ自体の変化というよりはそれが変わらなかったことによるニュース・バリューの低下および東日本大震災の発生に伴う社会面(ニュース時間)の占拠という、各個の事件に外在した原因によるものではないかと考えられた。
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