息子介護者の生活状況および支援の(不)必要性についての認識が、息子本人とその親の担当ケアマネジャーの間で乖離するのはどのような場合か、なぜ乖離するのかを、両者への半構造化面接を用いて検討した。特に、息子自身は介護サービスの利用が不要と認識しており、それゆえケアマネジャーとの間に緊張関係が生じているケースに焦点を当てた。 息子介護者がサービスを不要と考える理由には、親の状態の楽観視(「親はまだそこまで衰えていないから」)や自分が立てた目標の追求(「できる限り自分で親を世話したいから」)、自身のニーズと親のニーズの同一視(「自分は現状に問題を感じていないから(同居の親も困っていないはず)」)などさまざまだったが、共通点として、サービスの受益者は息子自身であるという前提からその(不)必要性が語られていた。 他方、ケアマネジャーの説明では、最終的な受益者は高齢者(=親)であるという前提が敷かれていた。息子の心身の消耗や社会的な困難を低減するため、という理由でサービス利用の必要性が語られる場合でも、主たる介護者である彼らの生活を支えることが、結局のところ彼らに介護される親の生活を支えることになるから、という観点が保持されていた。 最終年度は、量的・質的なデータを用いて、得られた知見を多角的に精査した。外部支援の必要性が息子による主観的ニーズ優先で判定される可能性の高い同居介護のケースは、社会経済的地位の低い層において増えていること、他方、「介護の社会化」が家族の負担の軽減という目的で理解されている場合、主たる家族介護者である息子の主観と、それ(のみ)にもとづくサービス利用の必要性判断(例えば「介護している家族の自分が負担を感じていないのだから、利用する理由がない」という主張)が一定の効力をもってしまう可能性も示唆された。
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