本研究では、長野県下伊那郡上郷尋常高等小学校の学校資料・地域資料の分析を行い、「学校と家庭の連絡」は1900年代から大正期には小学校への就学奨励を主眼としていたが、1920年代半ばより小学校教育の定着を図ることへと変化していったことが示された。 「学校と家庭の連絡」への注目は1900年代頃の師範学校附属小学校が嚆矢であり、東京府青山師範学校附属小学校では、「学校家庭通信」という小冊子を毎月発行した。この小冊子は保護者の学校教育に対する理解を深め、積極的な協力を求める教育的メディアとしての役割が期待され、この動向は他の師範学校附属小学校、東京府下の公立小学校に普及したことが明らかにされた。
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