研究課題/領域番号 |
26780481
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研究機関 | 成蹊大学 |
研究代表者 |
今田 絵里香 成蹊大学, 文学部, 准教授 (50536589)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 少年雑誌 / 少女雑誌 / メディア / ジェンダー / 投稿 / 日本少年 / 少年倶楽部 / 少女の友 |
研究実績の概要 |
平成27年度は、戦前日本の少年少女雑誌における投稿文化を明らかにするため、①中学生/高等女学生をおもな読者とした少年少女雑誌『日本少年』『少女の友』の通信欄・文芸欄における投稿文化を1900~1910年代に限定して比較し、得られた結果を論文にまとめた。②少年雑誌『日本少年』『少年倶楽部』の1900~1930年代における理想の男性像と投稿文化のかかわりを明らかにし、論文にまとめた。②は以下のことが明らかになった。この雑誌の理想の男性像は、1906~30年は学者、政治家、軍人であった。それらは、学歴によって獲得するものとされていた。なぜなら、この雑誌は、学歴獲得とそれによる職業獲得が期待される、都市新中間層男子を読者にしていたからである。しかし、1930~38年は政治家、軍人に画一化した。それに伴い、第一に抒情の排除がおきた。それまで、理想の男性像は一つに抒情を理解できる存在、二つに抒情を表現することに秀でた存在であったが、それが豪胆な存在にとってかわられたのである。第二に、学歴の価値の希薄化がおきた。一方、『少年倶楽部』の理想の男性像は、一貫して学者、政治家、軍人であった。そしてそれらは地方出身者が苦学か「たたきあげ」によって獲得するものとされていた。これはこの雑誌が都市新中間層男子とその下の階層の男子を読者にしていたことによる。すなわち、時代が下がるにつれ、読者は、学歴のある男性像や抒情を理解し表現する男性像を支持しなくなった。かわりに豪胆な男性像を支持するようになった。なぜなら、前者は都市新中間層にしか獲得できない男性像であり、後者は男性であれば誰でも獲得できる男性像だからである。①は、小山静子編『男女別学の時代――戦前期中等教育のジェンダー比較』にて公表、②は、成蹊大学文学部学会編『ダイナミズムとしてのジェンダー――歴史から現在を見るこころみ』にて公表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成27年度は、①少年/少女雑誌の投稿欄に関する史料、および文献を収集し、②中学校/高等女学校の作文教育に関する史料、および文献を収集することで、①1900~1910年代の『日本少年』『少女の友』の通信欄・文芸欄における投稿文化を明らかにし、論文にまとめることができた。②少年雑誌『日本少年』『少年倶楽部』の1900~1930年代における理想の男性像と投稿文化のかかわりを明らかにし、論文にまとめることができた。そのため本研究目的を概ね達成しつつあるといえる。
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今後の研究の推進方策 |
今後も引き続き、①少年/少女雑誌の投稿欄に関する史料、および文献を収集し、②中学校/高等女学校の作文教育に関する史料、および文献を収集することで、戦前日本の少年少女雑誌の通信欄・文芸欄における投稿文化を明らかにしていく。今後は1920年代、1930年代、1940年代の少年少女雑誌の通信欄・文芸欄における投稿文化を明らかにしていく。そして、1900~1930年代の少女雑誌における理想の女性像と投稿文化のかかわりを明らかにする。さらに、韓国の少年少女雑誌の投稿文化と比較し、戦前日本の少年少女雑誌の投稿文化の特徴を把握していく。
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