平成29年度は、戦前日本の少年少女雑誌における投稿文化とジェンダーを明らかにするため、(1)中学校生徒・高等女学校生徒をおもな読者とした少年少女雑誌『日本少年』『少女の友』の通信欄・文芸欄における投稿文化を1900~1940年代にかけて比較した。また、(2)戦前日本の少年少女雑誌の歴史を明らかにし、(1)の少年少女雑誌の投稿文化の歴史をそのなかに位置付け、単行本としてまとめた。さらに、(3)教育社会学という学問のなかで、歴史研究、ジェンダー研究、メディア研究がどのように進展して、どのような課題を抱えているのかをあらためて明らかにする作業をおこなって、(1)(2)の歴史研究(ジェンダー研究、メディア研究)がそのなかにどのように位置付けられるのかを考察した。(2)は以下のことが明らかになった。少年少女雑誌は、1)1877年から1900年前後にかけて、作文投稿雑誌から少年雑誌へという変化を辿った。ここにおいて「少年」が生まれた。2)1900年前後、少年雑誌から少年少女雑誌へという変化を辿った。ここにおいて「少年」「少女」が生まれた。3)1910年代、少年少女雑誌は大人とは異なる存在として「少年」「少女」を描きはじめた。4)1925年前後、少年少女雑誌は、都市新中間層男子女子からあらゆる階層の男子女子として「少年」「少女」をとらえはじめた。5)総力戦体制下、少年少女雑誌は「少年」「少女」を少国民として描きはじめた。6)戦後、少年少女雑誌は「少年」「少女」という言葉を使わなくなった。(2)の研究成果は、『「少年」「少女」の誕生』として出版の予定である。(3)の研究成果は、『教育社会学のフロンティア1 学問としての展開と課題』(岩波書店)、『教育社会学事典』(丸善出版)として出版した。
|