近代的な子ども概念の形成の歴史を明らかにすることを目的に、明治期から戦前期にかけての児童虐待問題で議論された「保護と教育の対象としての子ども」について、社会構築主義の視点から分析と考察を行った。研究の結果、大正中期より、政府内で虐待防止の議論が続けられた一方で、議論の経過とともに多様な子どもの問題が虐待問題として取り込まれていったことが明らかとなった。また昭和8年の児童虐待防止法が、労働する児童を保護して教育の世界に送りこむ網となったと同時に、その網の目からこぼれ落ちる児童の存在をつくりだすことで、同時代の「保護と教育の対象としての子ども」を複層的に構築することになったことが明らかとなった。
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