研究課題/領域番号 |
26820273
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研究機関 | 日本工業大学 |
研究代表者 |
野口 憲治 日本工業大学, 工学部, 助手 (30337513)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 近世町家 / 町家模型 / 長崎 / 鳴滝塾 / 出島 / オランダ商館 / シーボルト / ブロムホフ |
研究実績の概要 |
本研究は、シーボルトという日本人とは異なる人物の視点から近世町家を分析し、近世町家の室内意匠に関する従来の理解を再検討することにより、新たな近世民家像を構築することを目的とする。 平成27年度は、文久2(1862)年に長崎奉行所が設けた「蘭人止宿所」(以下、止宿所)に関する「蘭人止宿所模様替仕訳書」(東京大学史料編纂所所蔵)を調査した。また、シーボルト再来日時の「鳴滝塾」に関する新たな文献史料を調査した。 1.「蘭人止宿所模様替仕訳書」にみる止宿所の様相:長崎奉行所は、文久元(1861)年に新築した民家を買い上げ、止宿所として改築した。止宿所は、幕府が招聘したオランダ人技師の住居である。長崎奉行所は、模様替えにあたって、御雇外国人であるボードウェインからの申し立てを受け容れた。その内容は、文化7(1810)年のカピタン部屋の普請についての取り決めと一致する部分であった。オランダ人の居室には、腰板付きの硝子障子が取り付けられた。それらは、オランダ人の生活様式に馴染ませるために模様替えがされた結果である。また、1階の掃き出しの開口部は、腰板付きの硝子障子を付け、西欧風に馴染ませた。 2.鳴滝塾の復原再考:古賀十二朗(長崎の郷土史研究者、1879-1954)著『玉園雑綴55』(長崎歴史文化博物館所蔵)、『シーボルト叢考』(シーボルト記念館所蔵)に記された鳴滝塾に関する記録を分析し、昨年度に示した復原平面を再考した。シーボルト再来日(万延元(1860)~文久2(1862)年)の鳴滝塾は、2階屋と平屋からなり、茶室が付属する。平屋は、初来日時(文政7(1824)~同12(1829)年)の鳴滝塾を改築し、2階屋は、出島の通詞部屋の部材を利用して建てた西欧風の建物である。 以上の成果は、2015年度日本建築学会大会、第9回国際シーボルトコレクション会議、『鳴滝紀要 第26号』にて報告した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
平成27年度は、鳴滝塾の復原に関する調査、分析に時間を要したため、シーボルトコレクションの町家模型の分析にやや遅れが生じた。現時点では、ライデン国立民族博物館所蔵の町家模型のコレクション別の分類は済んでおり、模型の室内意匠の要素を抽出している段階である。
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今後の研究の推進方策 |
平成28年度は、下記の分析を推進し、研究成果をとりまとめる。 1.模型の室内意匠の分析:近世町家の室内意匠は、町家の特徴を示す重要な要素の一つである。現存遺構の町家では、襖などの建具類が失われることが多く、室内意匠を十分に検討することができない。建具類が遺る建物は、揚屋建築の遺構である京都の角屋など特殊な建物に限られる。しかし、模型からは「名主の住まい」や「酒屋」など、幅広い職業の室内意匠を当時の状態で見ることができる。その様相は、唐紙を貼った壁や天井、四季を描いた襖絵など細部まで表現されている。これらの室内意匠を詳細に分析し、職業や部屋の用途との関係を明らかにする。
2.絵画史料に描かれた町家との比較:『日本』の挿図や川原慶賀(出島絵師)が描いた長崎の町家に関する絵画史料と模型を比較する。慶賀が描いた『人の一生』の祝言の場面には、障子の框を黒塗し、壁には紺色の腰張りが張られるなど、模型の室内と同じ意匠を見ることができる。絵画史料に描かれた室内の様相から部屋の使い方を特定し、室内意匠との関係を明らかにする。
3.家作制限令と模型の室内意匠:『長崎御役所留』などに記載された室内意匠に関する触書の内容と模型の室内意匠を比較する。幕府は、幕府直轄領である長崎に、町家の家作に関する町触を、寛文8(1668)年に出している。これによると、建具の框を塗る事、唐紙の張付壁、遊山船や金銀の紋の絵を描くことなどを禁じている。しかし模型の室内意匠は、建具の框を黒塗にするなど、制限令に触れている。模型と制限令を比較し、規制と現状の関係を分析する。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究を遂行する上で必要に応じて研究費を執行したが、査読論文の投稿が予定より遅れたため。
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次年度使用額の使用計画 |
査読論文の投稿料として使用する予定である。
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