本研究は、シーボルトという日本人とは異なる人物の視点から、近世町家の室内意匠に関する従来の理解を再検討する。 1.町家模型のモデルとなった地域・建物 シーボルトの町家等の模型が、日本のどの地域の町家等をモデルとしたかは、明らかにされてこなかった。そこで、町家模型のうち、「名主の住まい」に置かれた触書と火消道具に着目すると、触書(高札)には、市中郷中でオランダ人との密貿易を禁止する条文が書かれている。当時、オランダ人との貿易が許されていた町は長崎だけである。つまり、「名主の住まい」は、長崎の町家をモデルとした。また、玄関前に置かれた火消道具の「本」と書かれたウチワは、長崎の本博多町の町印である。長崎の各町には、町乙名と呼ばれる地役人がおり、職務の一環として、諸制令(町触)の布達、抜荷(密貿易)の取り締まり、出火の際には町内の火消を引き連れて火元へ出かけ詰所に詰めることになっている。つまり、「名主の住まい」は、長崎の本博多町の町乙名の役宅をモデルとした。また、他の模型も長崎の町家をモデルとして製作された。 2.シーボルト・コレクションの町家模型の座敷意匠の特質 従来、近世町家の室内意匠は、主に現存遺構を中心に検討されてきた。現存遺構は、歴史的増改築の結果であり当時の様相そのものではない。そこで、模型の室内意匠を分析することで、現存遺構ではみることができない19世紀はじめの長崎の町家の座敷意匠の特質を明らかにできる。長崎の町家における、唐紙を貼った襖、黒塗の框、紺色の腰張りなどの座敷意匠は、職人の町家から身分の高い役人層の屋敷まで幅広く用いられたが、素材や細部意匠には格差があることを明らかにした。これらの意匠は、贅沢を禁止した家作制限令と乖離しているが、制限令に関わらず一般化した当時の様相を示している。
|