本年度は、幕末維新期から漢文学者の無用論の系譜を明らかにし、滞台期間中の籾山衣洲の詩文に反映された「無用論」の思想の位相を分析した。 幕末以来、寺門静軒や成島柳北の漢文戯作における無用者論の言説は、常に儒学者の不遇意識や世相への反発精神と深く関わっていると研究者は指摘している。前近代的な知識人と彼らの文化的営みが激しい時代の変動のなかで次第に価値を失ったことにより、常に「無用のもの」というレッテルを突きつけられていたにもかかわらず、本人たちはその評価に甘んじることなく、あえて「無用」というイロニーを生かして世の中に何らかの形で、たとえばプライドの裏返しの韜晦や内心の自信の表現など、時の政府と対峙して自分の確固たる生き方を示していくのである。 この漢文戯作に現れた無用者論の基調が衣洲にも継承された。しかし、滞台時の籾山衣洲の無用論は、寺門静軒や成島柳北など漢文繁昌記の伝統を意識したうえで展開されたものとはいえ、外部世界の不条理への鋭い観察と自己自身への反省をともに内包していた静軒や柳北の風刺文と異なり、「有用」世界と「無用」世界との緊張関係を把握せず、通俗的な道徳論に留まることが明らかになった。そして、同時代の花鳥風月的な竹枝詞とも異なり、衣洲の竹枝詞は隠喩を戯れとして活用し、目前の風景との二重視に終始している。その「戯れ」という挑戦は本来の風刺精神を失って、戯文のレベルに停滞し、時に植民地権力構造に「協力」する形で綴られていることが分かった。近代国民国家及び植民地統治構造という特別な時-空間の中に、衣洲の「無用」論は、従来の静軒・柳北のそれに比べるとズレを生じたし、漢文戯作の「風刺」と「戯れ」という特徴が衣洲の作品においても前人たちと随分異なる形で形象化されているのである。 本年度の研究業績は、図書出版(2件)と会議口頭発表(1件)である。
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