本研究は、明治後期に植民地台湾と清末中国で活躍した籾山衣洲(1855-1919)の未刊行の私人日記と詩文手稿を分析し、彼の詩文意識における政経イデオロギーと花鳥風月的な審美観の相互作用を究明したものである。具体的には、まずは衣洲日記内容の翻刻・解読を行い、彼と現地の人々との交友関係と結社活動のルートを構造的に把握した。次に明治期漢詩人たちの「大志を広げ」のための文筆活動と「新天地での詩料探し」という海外雄飛時の文学スローガンとの連動現象を明らかにした。さらに、籾山衣洲の「無用」のレトリックを分析することで、詩文創作の「志」と政治協力につながる「戯れ」の技法とのねじれが明らかになった。
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