本研究は、帝政ロシア統治期(1867-1917 年)の中央アジア南部定住地域における帝国政府内省庁、企業家、植民地当局といった様々な主体の間での開発をめぐる議論と実践が、同地域の現地政権・社会によって維持されてきた土地制度・水利慣行の実態となぜ乖離していたのかを明らかにしてきた。本研究は、アムダリヤのカスピ海への転流計画に代表される大規模灌漑計画が、各オアシス地域の特質を踏まえた土地改良事業に優先されていたことを明らかにし、そうした決定の背景にイギリスとの「グレートゲーム」に見られる対外的要因が働いていたことを明らかにした。
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