最終年度においては、本研究課題を、2つの観点から取り扱った。すなわち、北アフリカのイバード派における議論も参照しつつ、(1)特に西暦8世紀後半から9世紀前半において、イラクからオマーンへと移動してきた学者たちが有した見解が、オマーンの法規定にいかなる影響を及ぼしたのか、また(2)イバード派に特徴的な法規定である、姦通当事者同士の婚姻障害について、それはどのように同派において整備されてきたか、というものである。それにより、以下のことが明らかになった。すなわち、西暦9世紀前半のオマーンでは、婚姻の成立と解消に関する規定について、イラク地方で実践されていた法規定と、ヒジャーズ(アラビア半島の紅海沿岸)地方で実践されていた法規定が伝えられており、そのどちらを採用するかで学者たちの間で意見の相違があった。また外部からもたらされた見解のいくつかは、オマーンにおける法実践に影響を及ぼした。さらに姦通による当事者同士の婚姻の禁止という規定について言えば、イバード派はそのごく初期からその規定を支持しており、学者たちは、クルアーンの節の解釈や、イスラームの最初期に活動した人物たちの発言を利用するなどによって、自派の教説を補強した。そして西暦10世紀には、他学派からの反駁に耐えうる精度の想定問答を準備するまでに至った。 研究期間を通じて、研究課題について以下のことが明らかになった。すなわち、イバード派法学は、孤立のなかで発展したわけではなく、同時代のイスラーム世界における思想的発展と歩みを同じくしていた。また特にスンナ派法学派の名祖たちが活動した8世紀から9世紀は、イバード派においても多くの学者たちが、スンナ派世界における議論に遜色しない程度の議論を、婚姻の成立と解消の分野で展開していた。
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