本研究では、関東の農村を中心に、近世後期の非都市地域における農本主義的身分制度がその後の日本社会をいかに規定したかを分析した。その結果、明らかになったのは下記の7点である。1)村は農業生産者の組織であった。メンバーシップに宅地(「ムラ」)・耕地(「ノラ」)・コモンズ用益権(「ヤマ」)のセットが附随したものが百姓株式と呼ばれ、所有者が死亡や移動でいなくなった場合、親戚にその管理が委ねられたが、適当な管理者がいない場合、村が管理して相続人を探し、最後の百姓株式所有者の養子とした。2)寺僧や番非人など、百姓以外の身分も村の必要不可欠な構成員であった。3)近世の百姓身分は単なる農民ではなく、兼業農家が多かった。4)百姓身分の者は、都市に住んで手工業者として生計を立てていても、政策的に穀物生産に従事することを奨励されることがあった。5)職人・寺僧・番非人などの非農業身分は村を超えたネットワークを地域社会において形成していた。6)株式は百姓だけではなく、職人の集団においても存在した。7)株式に付随する義務・権利を保証においては、身分集団や地域社会や株式所有者当人だけではなく、国家権力も一定の役割を果たした。上記のような村や地域社会の農本主義的社会分業に基づく分業は近世西インドにも存在し、それは株式に類似したシステム(ワタン体制)によって支えられていたことが、先行研究やインド史研究者との交流から判明した。農本主義的身分制度や百姓株式のようなシステムは決して特殊日本的な現象ではない。よって、村や家のような制度は、今後ミクロ経済学のような新しい手法の導入によって、さらなる成果の期待できる研究対象であることも本研究によって証明された。本研究の詳細は戸石七生著『むらと家を守った江戸時代の人びと』(2017年11月24日に農山漁村文化協会より発行)にまとめられている。
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