研究課題/領域番号 |
26870740
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研究機関 | 摂南大学 |
研究代表者 |
赤澤 春彦 摂南大学, 外国語学部, 講師 (90710559)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 宇佐八幡宮 / 陰陽道 / 陰陽師 / 神仏習合 |
研究実績の概要 |
2年目にあたる27年度は昨年度に収集した宇佐八幡宮における陰陽道・陰陽師関係史料をもとに宇佐の陰陽師について考察した。その結果、宇佐八幡宮には遅くとも12世紀末には神職の一員として陰陽師の存在が確認できた。ちなみに『宇佐八幡宮御託宣集』には天長元年(824)に陰陽師川辺勝真苗が認められ、さらに遡る可能性がある。ただし、この点については本史料の史料批判を充分に行った上で判断する必要がある。また、宇佐の陰陽師の特質としては、12世紀末から19世紀中頃まで断続的にその存在が確認できる点があげられる。宇佐の陰陽師は神職に属し、宇佐の神事・仏事の年中行事への参仕、式年遷宮への参仕のほかに清祓などの呪術も担っていた。また、占いを行っていた可能性もある。 また、27年度の成果として、中津市北原地区で継承されている北原人形芝居(大分県指定無形民俗文化財)との関連が明らかになった点もあげられる。北原人形芝居及び近世の北原散所については論文が複数ある(例えば半田康夫「宇佐放生会の傀儡子」『大分県地方史』6号、1955年、椛田美純「くぐつの系譜・芸能村」『大分県地方史』123号、1986年など)。また、近世の由緒書から北原地区は近世には陰陽師が集住する散所であったことが明らかである。当該地域には鎌倉期に陰陽師の免田が所在していており、宇佐の陰陽師の系譜を引くものと理解して大過ないだろう。このように宇佐八幡宮および宇佐の膝下荘園地域において陰陽師が定住し、古代から近世にいたるまで連続的に存在が確認できる事例は全国的にも稀少であり、陰陽道研究において重要な研究対象となり得るだろう。なお、これらの成果については、2015年度日本宗教史懇話会サマーセミナーにて発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2年目の進捗状況としてはおおむね順調に進展していると評価する。その理由としては、1つは宇佐の陰陽師の全体像について考察を深め、公表することができた点が挙げられる。宇佐の陰陽師については先行研究ではほとんど触れられてこなかったが、26年度で収集した史料をもとに宇佐の陰陽師の活動時期、宇佐八幡宮における身分的位置づけと職掌、所領と屋敷など、これまで不明であった事実を明らかにすることができた。2つ目は、27年度の課題として掲げた近世以降の陰陽師の存在形態について調査が進んだ点である。とりわけ、北原地区における近世の散所村が中世の系譜を引くことを明らかにできた点は、中世から近世における断絶を課題とする陰陽道研究全体に新たな視角をもたらすことができる。
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今後の研究の推進方策 |
26年度、27年度の成果を受けて最終年度となる28年度は、宇佐地域における近世陰陽道の展開を歴史資料と民俗資料の双方からさらに調査を進め、その存在形態の解明に取り組むこととする。また、日本宗教史懇話会サマーセミナーの研究報告で指摘された大宰府との関係も視野に入れた調査と考察を深める必要もある。また、これらの成果をまとめた論考や報告書の作成も進めていきたい。
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