19世紀のイギリスでは、政治支配層の中核を担ったウィッグの政治家や知識人によって、政治的「妥協(compromise)」の方策が称揚された。本研究では、その理由を検討して次のような結論を得た。彼らウィッグは、イギリスが「自由」と「統治」を同時に実現する「自由な統治(free government)」としての「イギリス国制(constitution)」であることを自負したが、これら「自由」と「統治」とを同時に達成する政治手法こそが「妥協」に他ならなかった。 ウィッグによれば、イギリス国制は「自由な統治」であることに存在意義があった。それゆえ、ある政治的問題の最終的な解決をもたらすために行われる「決断」は、多様性状況の維持という点から、「自由な統治」にふさわしい決定法と見なすことはできない。「自由な統治」としてのイギリス国制にふさわしい決定法とは、多様性を保証しつつ同時に秩序を実現する決定法であり、これこそが妥協である。妥協は、政治的アリーナ上のすべての人々の「共通性(common)」を探り出し「全体」の同意を取りつける恒常的な営みであるがゆえに、最終的な解決の地点や時点は存在しない。妥協を行う者は、多様な要素と常に交渉し、とりまとめようとはするが、結論に到達するやいなや、それぞれの立場から評価を下す各政治勢力によって、再びそれは政治的に問題化されることになる。この意味で妥協は、状況との関わりあいの中で、状況の変化にしたがい、採用される結論も逐次、修正が求められるものであるため、その実践によって確実に結果がもたらされるような体系的方法などではない。すなわち妥協は、時と場所とに応じて「イギリス国制」という「全体」の維持をめざした、決定に先立つ行為者の「構え」と言うべきものなのである。
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