社会史、特に心性史研究の遅れが指摘されて久しい中東文化史研究にあって、本研究「近世オスマン朝の文化的選良層の社会生活と心性についての文化史研究」は、この研究の停滞を主に文学史料の歴史学分野への応用というアプローチによって克服する為に二ヵ年計画で行われた。計画最終年度に当たる本年は、オスマン朝において「文」の文化を担った文化的選良層において保持された「理想の都市」という都市イメージと、エヴリヤ・チェレビーのごとき庶民的名士の残した史料に映ずる庶民的な「俗信の都市」という都市イメージの比較を通じて、文化的選良層と庶民の間には特筆すべき生活基調の差異が見られたこと詳らかにしつつ、共著『〈驚異〉の文化史:中東とヨーロッパを中心に』(山中由里子(編))において「イスタンブルの民衆と奇物:驚異から日常の中の異常へ」としてその成果を世に問うこととなった。また、文化的選良層が残した古典定型詩史料そのものの読解については言語文化的視座から接近し、特にその美的価値を保存しつついかにして外国語に翻訳するかという翻訳論研究にも派生する論題について考察し、その成果をトルコ語の研究ノート「トルコ古典定型詩の日本語翻訳に関しての考察」として海外研究者に向けて発信した。こうした研究過程で研究遂行者が指摘してきた帝都の文学的、文化的中心性、求心性は明らかとなった。一方、選良層の客体的自己の発見については異郷(gurbet)という文学的主題から考察する予定であったが、これについてはトルコ現代文学における異郷イメージの様態変化を経年的に扱った論文「母語で描かれた越境:トルコ文学における異郷ドイツのイメージ変遷」において部分的に扱うに留まった。しかし、研究成果発表に重点を置くという当初の目的を予定通りに行い得たと考えている。
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