本研究は、明治前期の言論界において福沢諭吉と並び称されながらも、これまで積極的に考察されてこなかった新聞記者福地源一郎(桜痴・1841~1906)の思想に光を当てることで、従来の明治前期思想研究やメディア史研究の枠組みに、新たな展望を切り開くことを目的とするものであった。 2015年度は、引き続き福地の思想形成期にまで遡り分析を行った。具体的には、長崎歴史文化博物館に行き、父子関係史資料や郷土史家による文献を調査し、彼の生まれ育った環境について検証した。その作業と並行する形で、2014年度の福地万世(源一郎)著『(「門」の中に「韋」)記』巻2(狩野文庫)に引き続き、東北大学附属図書館所蔵『続イ(「門」の中に「韋」)記』巻2の翻刻文字化作業を行い、両著作の情報源についても調査した。その内容は、福地が学んだ世界地理や地動説を初めとした当時における最新の海外知識の抄録が中心であるが、両書はこれにとどまらず、日本の開国を要求したペリー米国艦隊来航(1853〈嘉永6〉年)の直後という緊迫した時局において著されたという点で、文字通り地球規模の「世界」を、同時代の日本人がいかに認識したかを読み解くことに大きく寄与するものでもあった。 さらに、日本の新聞界においてパイオニア的役割を果たした福地が、新聞という西洋由来の政治文化をどのように認識していたかを考察した。具体的には、福地の活動拠点であった『東京日日新聞』を収集分析し、福地の執筆記事目録作成を行うなどした。
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