本研究は、戦後日本に大きく紹介された、米国西海岸の美術「パシフィック・ノースウエスト・スクール(以後、太平洋北西派)」が、占領後1950年代前半の日米文化交流の促進において、双方の国でどのような役割を持ったか、実際の作品分析とあわせ、歴史的に明らかにすることを目的とした。西海岸美術は1950年代末を中心に日本の美術界で多大な反響を得たが、現在そのことは殆ど記録に残っていない。実態を明らかにするために行われる具体的な内容としては、当時日米を行き来した太平洋北西派の所在確認、関連資料、批評、展覧会歴などの収集を東京、大阪、シアトル、ニューヨークにおいて調査し、関係者から聴き取り調査、および作品の実見による日米の画家や評論家との交流や具体的影響関係の分析を行った。これらの結果をもって、現行の一般的美術史では殆ど参照されることのないこの美術的交流を、国内だけでなく広く国際的な戦後美術史に位置づける方法を検討した。 最終年度にあたる本年度は、米国における昨年の資料収集に引き続き、国立近代美術館や東京都現代美術館図書館や国会図書館等国内の機関で、当時の文化交流を跡付ける文献や展覧会歴の資料を収集した。これらの一次資料から得た知見に基づき、国内外での重要作品の特定と所在確認、国立近代美術館等の国内作品の実見を行った。さらにこの美術運動と日米の文化交流の展開における政治社会的背景を明らかにするために、1940、50年代の日米関係や関連文化イベントに関する諸研究にあたり、これらの調査研究結果の一部を来年度出版予定の書籍の一章分にまとめ、一部を西宮市大谷記念美術館にて発表した。
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